半原藩

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半原藩(はんばらはん)は、明治時代初期のわずかな期間に三河国に存在していたである。藩主家は譜代大名安部氏。石高は2万250石。藩庁は八名郡半原陣屋。現在の愛知県新城市富岡に存在した。

概要[編集]

安部氏はもともと先祖の地である武蔵国岡部藩として、江戸在府で2万石を知行。岡部(現・深谷市)に陣屋を構え、各地で飛地となっている所領を治めるため、三河国半原と摂津国桜井谷[注 1]に代官を置いていた。慶応4年(1868年)4月、当時の藩主の安部信発は岡部から半原に藩庁を移して半原藩を立藩する。信発は藩校学聚館を築くなどしたが、明治2年(1869年)の版籍奉還により藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で、半原藩は半原県となり消滅。同年11月15日の府県統合で半原県は額田県に併合された。

渋沢栄一の出身地であった血洗島村も藩領の一部であった。
藩庁のあった半原村は、1875年(明治8年)に合併で富岡村になって半原の地名が消滅した[注 2]

歴代藩主[編集]

安部家

譜代。2万250石。

  1. 安部信発(のぶおき) 従五位下 摂津守

幕末の領地[編集]

関連項目[編集]

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  1. 豊島郡桜井谷村。1936年に合併で豊中市になる。
  2. 村名は旧来地名の永郷と武蔵の部から1字ずつ取って命名。