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三河島事故とは、1962年5月3日夜に国鉄三河島駅で発生した、三重衝突事故である。

事故経緯[編集]

巻き込まれた編成[編集]

287貨物列車[編集]

D51による牽引で、45両編成だった。機関士と機関助士、車掌の3名が乗車していた。

被害[編集]

機関助士が骨折。

2117H列車[編集]

下り列車。運転士、車掌のほか、多数の乗客が乗っていた。[1]

2000H列車[編集]

上り列車。

第一事故[編集]

この日、ダイヤは全体的にわずかながら乱れていた。宮城県の地震や東北での脱線事故などが原因であった。

287貨物列車は、三河島駅構内の登り坂に入った。直前の信号機[2]は黄色(注意・減速)を示していたため、勢いをつけて坂を登ることができない。勾配により減速し、坂の途中で時速15kmまで減速。機関士は坂を登り切れないと判断し、再加速を試みた。[3]列車は少しずつ速度を上げていった。

このとき、本来ならば信号を指差喚呼しなければならなかったが、機関士はこれを怠ったとされる。機関士は「信号[4]が見え、青信号だった」旨の証言をしている。

本線の信号機[5]を、本来見るべき信号機[4]と見間違ったのだ。

287貨物列車は安全側線[6]へ突入。脱線し、下り本線側に傾いた状態で停止した。

  1. 混雑していたと思われるが、正確な人数は不明。なお、定員は832名。
  2. 下り貨物線場内信号機
  3. 一気に加速すると車輪が空転するおそれがある。高い技術力を要する作業だった。
  4. a b 下り貨物線用出発信号機
  5. 下り本線第二出発信号機。遅れてきた2117H列車がホームにおり、それがもうすぐ出発するために青信号になっていた。
  6. 信号が赤なので、ポイントがこちら側に切り替わっていた。