八大地獄
八大地獄とは、仏教で説かれている地獄のことで、8つの階層的な熱い地獄のことである。八種類の地獄。鬼たちから壮絶な責め苦を受け続ける。
罪の重さが軽い層から順に、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄(無間地獄)がある。下に行くほど罪が重くなり、受ける苦痛や刑期も増大する。
八大地獄の周りにも、八大地獄に付随する小地獄があり、十六小地獄が付属されている。更に細かい苦しみを受けるところである。
八大地獄は、恐怖そのものとはいえない。仏教では、因果応報の法則がある。
それぞれに定められた寿命や刑期を満了するまでけして解放されることはない。
仏教では、私達が住む世界の下に「八大地獄」が重なるように存在していると考えられている。
八大地獄に住む者達(キャラクター達)は、「火を噴く牛頭の羅刹」「亡者を巻いて食らう大蛇」「亡者の身体をついばむ虫」「鉄のくちばしを持つ鷲」「亡者に向かって火を噴く竜」「亡者の身体をむさぼる犬」がいる。亡者を痛め付け、食らったり、恐ろしい生き物達が暴れ回っている。
等活地獄[編集]
虫や動物の殺生。獄卒に切り刻まれたり、お互いに殺し合ったりしても、風が吹くと生き返り、同じ苦しみが再び繰り返される。
盗撮や、人の顔の無断撮影をし、肖像権侵害した写真を使って、プライバシーを侵害して嫌がらせ行為をした場合、ここに該当する。
他人に対して厳格な言い方を浴びせて、つらく当たるような言い方をしたり、弱い子を苛めると、等活地獄の別処に付属される小地獄の、屎泥処に堕ちる。
黒縄地獄[編集]
虫の殺生に加え、盗みを犯した者が堕ちる。縦横の広さは等活地獄と同じである。熱い鉄の縄で体を縛られ、それに沿ってノコギリで切り刻まれる。熱い鉄の縄で、綱渡りされてしまう。
衆合地獄[編集]
虫の殺生・盗みに加え、邪淫(不倫や性犯罪)の罪を犯した者が堕ちる。
叫喚地獄[編集]
飲酒、妄言の戒めを破った者が堕ちる。火の釜に入れられ、熱さに耐えかねて大声で泣き叫ぶ。
大叫喚地獄[編集]
人を騙したり、さらに大きな嘘(妄語)を重ねた者が堕ち、叫喚地獄よりもさらに激しい苦痛で、あまりの痛さに大声で叫ばれるほど、第号泣する。
焦熱地獄[編集]
猛火の鉄鍋で炙られる。間違った考えをした者、間違ったことを人に教えた者が堕ちる。
大焦熱地獄[編集]
聖職者への冒涜などを犯した者、尼僧(女性のお坊さん)を苛めた者が堕ち、炎の刀で皮を剥がれ、熱い鉄汁を注がれる。焦熱地獄を上回り、内と外から激しく焼かれる地獄。
阿鼻地獄[編集]
無間地獄。八大地獄の最下層で、最も重い罪(五逆罪や法謀罪、謗法罪)、父母や聖者、主君の殺害、親殺し、殺阿羅漢、出仏身血、破和合僧を犯した者が堕ちる。休みや隙間が無く、絶え間なく最も重い苦痛といった、あらゆる拷問を受け続ける、最も恐ろしい地獄である。64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいて、炎の牙の獣や毒を吐く大蛇、巨大な怪鳥に追い回され食い殺される。四方八方が猛烈な火炎に包まれている。奪った命による耐えられない痛みが、そのままエネルギーとして跳ね返る場所である。阿鼻地獄に到達するまでは、鉄の塊を落とすような自由落下速度で2000年もかかるため、あまりにも深過ぎる最下層である。罪人を乗せた猛火の車が地獄のそこへ向かって真っ逆さまに堕ち続ける。
阿鼻地獄は、嫌な恐怖感が募る。
仏の掛軸をハサミで切り壊す行為は、仏教における「五逆罪」、あるいはそれに準ずる最悪の重罪(大乗の五逆罪など)に該当すると考えられる。
一部の寺院の解説や仏教の解釈、寿命の影響、諸説によっては、厳密には、約349京6130兆年の考えもある[1]。
阿鼻地獄は、英語ではAvici hell。「阿鼻地獄」の語源は、阿鼻は、古代インドのサンスクリット語である、「avici」の音写、音を漢字に当てたものである。サンスクリット語の「avici」は、「絶え間ない」という意味を持つ。「阿鼻」の漢字自体に特別な意味はなく、音を当てたものに過ぎない。「阿鼻叫喚」との繋がりが深く関係している。
絶対に絶対に絶対に絶対にしてはいけない凶悪なことに対応する。絶対に行きたくない地獄、絶対に防ぎたい地獄のランキング1位である。人を殺すことは、絶対に絶対に絶対に絶対に禁止されている。これによる強い叫びは、阿鼻地獄の究極の恐怖を見たからこそ沸き上がる叫びであり、その恐怖心は、絶対に人間の一線を踏み外してはいけないという防衛線で、人生に対する強いブレーキになる。
阿鼻地獄へ行く人はほとんどいないのは、ある意味では正しい。普通の人間が生活を送るなかで、五逆罪をおかすことはまず絶対に禁止である。
阿鼻地獄に堕ちるリスクを抱えていると厳しく戒める。調理をするために、包丁を使う場合、ひとつ間違えれば阿鼻地獄に直結するほどの恐ろしさを感じ、他人事だと思って油断してはいけないという教訓として語られる。
古典文学の「平家物語」などでは、悪業を尽くしたものが死の間際に鬼から「おまえは阿鼻地獄に墜堕ちるのだ」と告げられる描写があり、それを聞いた周囲の人々が恐怖で震え上がった話が残されている。
おわりに[編集]
地獄の話を聞くと、脳がストレスや危機感や恐怖感や不安を感じ、心がビックリするほどドキッとしたり、心に強い負担がかかり、生きるのがつらく感じ、息苦しくなり、体内で、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌量が一時的に急上昇するのは、ごく自然な心の反応である。地獄に堕ちそうになる前に、怖すぎる地獄の世界を確認しなければならず、あなたはどの地獄が一番怖かったかがわかる。阿鼻地獄の話を聞くと、そのあまりの恐ろしさと絶望的な世界観を感じ、背筋が凍り、一瞬体が動かなくなったように感じ、強い恐怖感という心理的インパクトを受ける。「少しの見せかけや考え過ぎも許されないのではないか」と、自分を角に責める心理が働き、生きることへの不安や心配事に繋がる。
では、地獄に堕とされない方法は無いのか。地獄は、恐ろしく残酷な世界として語られる一方で、地獄の話は、「生きている間、それほど悪いことを絶対にしてはいけないという強い戒めの教訓として語り継がれており、善く生きること」を親や祖父母や本などから教わり、お墓参り、日常生活の相談といった大切さに気付かせてくれる教えのひとつでもあるといえる。「なぜ絶対に人を殺してはいけないのか」というタイトルの本は必要なのか。「八大地獄全てに耐えた理由」も理解すべきなのか。
地獄の話を作るとき、はじめから絶対に絶対に禁止されている一番悪いこと「殺人」は、明示的に最後の位置付けと宣言するのが定石で、もっとも強いクライマックス効果があり、全体の抑止効果がはっきりする。「人を殺すことは、絶対に絶対に絶対に絶対にしてはいけないんだーっ。絶対に禁止!絶対にダメ!絶対に不可!」という重い教訓のメッセージが描かれ、シリアスかつ強烈なインパクトで、非常に強い言葉の叫びで、命の尊さと禁止が訴えられており、締めくくりでは、悪いことは絶対にしないと誓う言葉を実感する結びになる。自分が死後の世界に地獄に行かされるのを防ぐために、人間として生まれた今に、悪いことを絶対しないで、できる範囲で良いことをしなければならない。
人の命の重みは、命は1人に1人で、神経を持っているため、痛みの神経が重たい命だから、絶対に絶対に殺してはいけない。武器や包丁なんか絶対にいらない。
普通の人が行く地獄は別にあり、人間が日常で犯しがちな罪には、嘘をついたり(等活地獄)、盗みや盗撮を働いたり、肖像権侵害したり(黒縄地獄)、邪淫にふけったり(衆合地獄)がある。
地獄を取り仕切る閻魔大王にも、実は更に上司がいて、それが阿弥陀如来や地蔵菩薩、不動明王になるが、彼らに助けを請うことで、救済されることもあるそうである。
もし「死後に閻魔大王から何を尋ねられるか」という知識をお探しの場合、仏教の教えでは、生前の罪(カルマ)について厳しく追及される。
仏教における地獄のシステムは、私たちが生きる上で「命の尊さ」「親への感謝」「正しい倫理観や教え」をいかに大切にすべきかを逆説的に説いたものであるといえる。
地獄行きの基準の悪は、5つの基準があり、「五戒」という。「生き物を殺さない」「嘘をつかない」「盗みをしない」「享楽に溺れない」「酒を飲まない」そこまで厳しい。人間の生前の行い(身・口・意の三業)がそのまま結果として跳ね返りるとされ、その厳しさと耐えられない性質から、人間界の人々に恐れと道徳的な戒めを与えてきた。
子供が日常的に起きる悪いことは、嘘をついたり、苛めたり、厳格な言い方をし、つらく当たられたり、人の悪口や、ズルをするといった行動があり、これはユーモラスな地獄に導かれる。
インターネットで、和製英語のカタカナで、どれか1つ「母音のみや、子音」間違えた言葉を検索して確かめた場合、羞恥心を強く感じやすく、人に見られたくなく、人に見られると人に嫌われそうであるが、その間違った言葉を人に教えられてしまっても、いかなる地獄に堕ちることは絶対に無いので要注意。
これらは、地獄に堕ちる前に、知っておくべきもっとも需要な心得である。
脚注[編集]
- ↑ 正確に(年)で表される