伊能忠敬

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伊能忠敬(いのう ただたか)は、江戸時代上総国出身の商人で、大日本沿海輿地全図を制作したことで知られる。

概要[編集]

上総国山辺郡小関村の名主小関家に生まれ、後に父の生家の小堤村の神保家に移る。父も小関家の婿養子だった。

才能を見込まれて下総佐原の伊能家の婿養子となり、地域興産に熱心でいくつも蔵をぶったて、地主となった。
五十代を過ぎてから「後は好きにやりたい」と学問に勤しみ、家督を譲って隠居の身で江戸に出て、約20歳年下の高橋至時の弟子となり、伊能家の財産をつぎ込んで(出来のよかった息子は「親父が稼いだものだから」と何も言わなかったらしい)江戸に天文台を建てたというやんちゃな人。

人間生活との関わり・利用[編集]

シーボルトが伊能図をコピーして持ち帰ったものをペリーが入手し、浦賀に寄港して測量を始め(けっこう失礼な話である)、どう測っても誤差が出ないので「これで陸上から砲撃されたら艦砲射撃では太刀打ちできん」というので逃げかえったというエピソードがある[注 1]
じつは、当時の日本には高炉がなく、反射炉が二つくらいしかマトモに稼働していなかったのだが、木製のダミーを見て「こりゃいかん」と思ったらしい。
一方、当時の日本では原材料の鉄鋼がなかなかに入手困難だったのでパンとか焼いており、高島秋帆と江川太郎左衛門英龍(して「坦庵」)は「日本のパン祖」と言われ、英龍のゆかりの伊豆の国市では「パン祖のパン祭り」が開かれている。

その他[編集]

NHKアナウンサーの押尾駿吾は、伊能の父の生家の神保家の分家筋の出身で遠縁と明かしている[1]

脚注[編集]

  1. 当時の伊豆奉行が江川太郎左衛門だったので、そもそも相手が悪かった。

関連作品[編集]

関連項目[編集]

参考資料[編集]

出典

外部サイト[編集]