上杉宗房
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上杉 宗房(うえすぎ むねふさ、享保3年(1718年)6月17日 - 延享3年(1746年)8月12日)は、江戸時代中期の外様大名。出羽国置賜郡米沢藩の第7代藩主。吉良義央の曾孫に当たる。
人物[編集]
父は上杉吉憲で次男(6代藩主・上杉宗憲の弟)。勤皇の念を持ち、中御門天皇の勅命(口宣)を大切にし現在も現物が残っている。
善政を評価され、寛保2年(1742年)に幕府直轄だった置賜郡屋代3万6千889石(34か村)と、村山郡1万4千948石(13か村)が預かり領となる。武田信久(武田信玄の六男・信清子孫)を高畠城主(一国一城令の例外)とし漆山陣屋には中野氏を入れる。
延享3年(1746年)、兄と同じく嗣子無くして米沢にて死去した。享年29。家督は末弟の重定が継いだ。
遺品[編集]
鎧や刀剣の愛用品が今に残り、来派作の鏡仕上げの太刀・面影(おもかげ)は擬人化ゲームやアニメにも登場。
官位[編集]
家格[編集]
- 国主(国持大名)・大広間
著作・文書[編集]
- 『上杉宗房書状』