帝国陸軍 三式砲戦車 ホニIII

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三式砲戦車(さんしきほうせんしゃ)は、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍が開発・採用した砲戦車である。通称は「ホニIII」。一式中戦車 チヘの車台を流用し、九十式野砲を搭載した密閉固定戦闘室を備える自走砲であり、その性格上、対戦車戦闘も考慮されていた。

概要[編集]

ノモンハン事件以降、対ソ連戦を想定していた帝国陸軍は、ソ連赤軍BT戦車T-34といった強力な戦車に対抗できる対戦車兵器の開発を急務としていた。既存の対戦車砲では火力・機動力ともに不足しており、機動性の高い自走砲形式の対戦車兵器が求められた。

三式砲戦車の開発は、昭和17年1942年)に開始された。当時最新の一式中戦車 チヘの車体を利用し、九十式野砲をそのまま搭載することを目標とした。従来の一式砲戦車 ホニI一式半装軌砲は、開放式の戦闘室であったため乗員の防御力に難があったが、三式砲戦車では密閉式の戦闘室とすることで、防御力の向上が図られた。

しかし、開発は遅延し、実戦投入されたのは大戦末期フィリピンの戦いからであった。生産数も限られ、本格的な活躍の場を得ることはなかった。

開発[編集]

三式砲戦車の開発は、砲戦車という概念がまだ確立されていない状況下で進められた。当初、陸軍技術本部は九十式野砲の車載化を検討していたが、搭載する車体や戦闘室の形式については様々な意見があった。

最終的に、既に生産実績があり、信頼性の高かった一式中戦車 チヘの車台を流用することが決定された。昭和18年1943年)に試作車が完成し、各種試験が実施された。試験では、九十式野砲の強力な反動を吸収するための駐退復座装置の改良や、車体バランスの調整などが課題となった。

量産型は、試作車の結果を踏まえ、若干の改修が加えられた。砲の防盾は、車体前方に向けて大きく突出しており、その形状から「カバ」の愛称で呼ばれることもあった。

生産と配備[編集]

三式砲戦車の量産は、三菱重工業(現在の三菱重工業株式会社)で行われた。しかし、太平洋戦争の戦局悪化と資源の枯渇により、生産数は伸び悩んだ。資料によって生産数には幅があるものの、数十両程度が生産されたと推測されている。

配備は、主にフィリピン方面の防衛に充てられた。ルソン島の戦いなどにおいて、アメリカ軍のM4中戦車などと交戦した記録が残っている。しかし、絶対的な配備数の少なさと、補給の途絶により、その性能を十分に発揮することはできなかった。

また、一部の車両は日本本土決戦に備え、本土に温存されていたとも言われている。

構造[編集]

三式砲戦車は、一式中戦車 チヘの車台をベースとしており、基本的な車体構造は共通している。

登場作品[編集]

豆知識[編集]

  • 三式砲戦車の「三式」は、皇紀2603年(西暦1943年)に制式採用されたことに由来している。
  • 本車は「砲戦車」という名称であるが、実質的には駆逐戦車(戦車駆逐車)の性格が強かった。
  • 三式砲戦車が投入されたフィリピンの戦いでは、アメリカ軍の強力な航空優勢下で運用されたため、その性能を十分に発揮する機会は少なかった。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 土門周平『日本戦車史』光人社NF文庫、2004年。
  • 荒木肇『日本陸軍戦車戦』光人社NF文庫、2000年。
  • 齋木伸生『日本軍戦車発達史』大日本絵画、2002年。