ルイス・キャロル
ルイス・キャロル(Lewis Carroll [ˈluːɪs ˈkæɹəɫ], 1832年1月27日 - 1898年1月14日)は、イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (Charles Lutwidge Dodgson [ˈt͡ʃɑːɫz ˈlʌtwɪd͡ʒ ˈdɒdʒsən])。
生涯[編集]
ドジソン一族はアイルランド系の血を含む北部イギリス人。教区牧師チャールズ・ドジソンの長男としてチェシャー州ウォーリントンダーズベリの小さな牧師館で生まれた。2人の姉がいた。父の影響を受け敬虔なキリスト教徒であったが、のちに儀礼主義を旨とする英国国教会の指針との間に内心の対立を抱え、以降生涯に渡って宗教的なジレンマを抱え続けた。また彼は吃音だった。幼年期の頃、兄弟姉妹とともに家庭内で教育されていて、7歳にして『天路歴程』に目を通した。この頃、早くから数学的な才能を見せ、論理遊びやパズルを自作した。また家族のために詩や物語を家族のために書き、兄弟のための新聞を自作する。11歳の頃に、父はヨークシャー州クロフトに転任し、一家は広々とした教区館に引っ越し、以後25年間にわたり一家はこの教区館で生活。12歳の頃にチャールズはリッチモンドの小さな私立学校に入学した後、1845年にラグビー校に転校したが、数年後にラグビー校を離れる。
1850年にオックスフォード大学に入学し、優秀な成績を収める。その後、数学講師となったチャールズは以降26年間にわたり仕事を続けた。
写真家として[編集]
1850年からアマチュア写真家として活動をする。「少女写真」で知られており、後年に議論を呼ぶが、当時では芸術写真の一ジャンルとも言える。また、300人も超す少女と出会い写真を撮っていた。
作家として[編集]
詩や物語を執筆し、多数の雑誌に寄稿していた。[]1854年]]から1856年の間に、作品は国民的雑誌や小規模な雑誌に掲載された。1856年に最初の作品を発表した。『The Train』誌に発表された Solitude(孤独)と題された短い詩の上に、「Lewis Carroll(ルイス・キャロル)」の名前が記された。この筆名は彼の本名をもじったものである。「Lewis」は「Lutwidge(ラトウィッジ)」のラテン語名の「Ludovicus」を、「Carroll」は「Charles(チャールズ)」のラテン語名の「Carolus」を、それぞれ英語化したものである。1862年にピクニックの途上において、『アリス』の筋書きを閃いた。1864年に手書きの本『地下の国のアリス』を知人の娘アリス・リデルに贈った。1865年に『ふしぎの国のアリス』を出版した。