ミハイル・カリーニン

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ミハイル・イヴァーノヴィチ・カリーニン(ロシア語:Михаил Иванович Калинин)とはソビエト連邦の政治家、革命家である。ロシア中央執行委員会議長ソ連中央執行委員会議長ソ連最高会議幹部会議長を歴任した。

概要[編集]

1875年11月19日ロシア帝国トヴェリで生まれる。1898年ロシア社会民主労働党に入党、1903年の分裂後はレーニン率いるボリシェヴィキに属した。

ロシア革命後はロシア中央執行委員会議長に就任、そしてソ連建国後はソ連中央執行委員会議長に就任、その後組織が再編されソ連最高会議幹部会議長に選出される。1926年には党中央委員会政治局員に選出された。

レーニンの死後、スターリンは敵対勢力になると恐れたトロツキーなどのオールドボリシェヴィキを敵視して粛清や追放等を行ったがカリーニンは特に権力のない国家元首という名誉職だったためスターリンの粛清からは免れた。

第二次世界大戦後の1946年にモスクワで死去した。享年70歳。

カリーニンの死後、ソ連に編入された旧ドイツ領のケーニヒスベルクはカリーニンに因んでカリーニングラードと名付けられた。

関連項目[編集]