ハル薗田

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ハル薗田(ハルそのだ、本名:薗田 一治(そのだ かずはる)、1956年9月16日 - 1987年11月28日)は宮崎県小林市出身のプロレスラー

略歴[編集]

1974年(昭和49年)に全日本プロレスに入門し、レフェリーとして活動を開始。翌年1月よりレスラーとしてデビューした。

1979年(昭和54年)、本格的な海外修行を開始。翌1980年下期からはアメリカ合衆国ハル・ソノダまたはプロフェッサー・ソノダのリングネームで、香港の武術映画に出てくる殺し屋をイメージしたスタイルの東洋人ヒールとして活動した。

1984年(昭和59年)に帰国。ジャイアント馬場の付き人を務めつつ、覆面レスラーのマジック・ドラゴンとして活動を続けていた。1985年6月の小林邦昭とのコントラ・マッチで敗退し、以降はハル薗田のリングネームで活躍した。

1987年(昭和62年)に結婚。仲人は馬場が務めた。結婚間もない11月28日に新婚旅行も兼ねた南アフリカ遠征の途上で南アフリカ航空295便墜落事故に遭い、夫婦とも事故の犠牲となった。
南アフリカ遠征は南アフリカでブッカーとしても活動していたタイガー・ジェット・シンの招聘に馬場が応えたことから決まった。本来は東京からパリ経由で南アフリカに向かう予定だったが、プロモーターの手違いで台北経由で事故便を利用する航空券が送られてきたという。事故便の航空券を渡した馬場は自責の念に駆られ、後楽園ホールで開かれたメモリアルセレモニーでは遺影を前に絶句した。