ノースアメリカンFJ-1フューリー

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ノースアメリカン FJ-1 フューリーは、ノースアメリカン・アビエーションが開発したアメリカ海軍およびアメリカ海兵隊向けの初期のジェット戦闘機である。FJ-1は、アメリカ海軍初の実用的なジェット戦闘機の一つとして、航空母艦でのジェット機の運用研究に重要な役割を果たした。

開発[編集]

第二次世界大戦末期、アメリカ合衆国でもジェットエンジンの開発が本格化し、アメリカ海軍もジェット戦闘機の必要性を認識していた。ノースアメリカンは、当時開発中であったF-86 セイバーの原型である陸軍向けのXP-86(後のP-86 セイバー)の海軍版として、XFJ-1としてフューリーの開発に着手した。

最初の試作機であるXFJ-1は1946年9月11日に初飛行した。当初の設計では直線翼を採用しており、これは当時としては一般的な設計であった。しかし、より高速での性能向上を目指し、開発中に後退翼の採用が検討された。最終的に量産型FJ-1は直線翼で生産されたが、FJ-1での経験が後のF-86 セイバーの後退翼の採用に繋がった。

設計[編集]

FJ-1フューリーは、機首に空気取り入れ口を持ち、胴体中央部にエンジンを配置するオーソドックスな設計であった。エンジンには当初、アリソンのJ35ターボジェットエンジンが搭載されたが、後に推力向上のためゼネラル・エレクトリックのJ47エンジンも検討された。

主翼は直線翼であり、着艦時の低速安定性を確保するため、比較的厚い翼型が採用された。武装は機首に6丁のM2 ブローニング重機関銃を搭載していた。また、空母への着艦を考慮し、着艦フックや主脚の強化など、海軍機特有の改修が施されていた。

特筆すべきは、空母での運用を容易にするため、駐機時に機首を低くし、機尾を高くする「ニーリング」と呼ばれる機構を備えていた点である。これにより、限られた格納庫スペースでの多数の機体の収容が可能となった。

運用[編集]

FJ-1フューリーは1947年にアメリカ海軍に配備され始めた。主に訓練部隊や評価部隊で運用され、空母へのジェット機の運用技術の確立に貢献した。例えば、1948年には、FJ-1がアメリカ海軍のジェット機として初めて空母からの離陸と着艦を成功させた機体となった。

しかし、直線翼であるFJ-1の性能は、その後に登場する後退翼を持つジェット戦闘機、特にF-86セイバーやMiG-15と比較して劣っていた。このため、FJ-1は短期間で第一線部隊から引き上げられ、1950年代半ばにはほとんどの機体が退役した。最後のFJ-1は1956年に退役した。

生産機数は33機と少数にとどまり、技術的な過渡期の機体として重要な位置を占める。FJ-1での経験は、ノースアメリカンがF-86セイバーを開発する上で貴重なデータを提供し、後の成功に繋がった。

豆知識[編集]

  • FJ-1 フューリーは、アメリカ合衆国郵便公社が発行した記念切手の題材になったことがある。
  • 「フューリー」(Fury)とは、英語で「激しい怒り」や「狂暴さ」を意味する。

関連項目[編集]

  • F-86 セイバー - FJ-1を基に開発された、より成功したジェット戦闘機。
  • ミグ-15 - FJ-1の運用期間と同時期に登場した、ソビエト連邦の主要なジェット戦闘機。

参考書籍[編集]

  • Jane's All The World's Aircraft
  • American Military Aircraft: A History of American Fighting Planes by Michael D. O'Leary