シャルル・ド・モンテスキュー

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu、1689年1月18日 - 1755年2月10日)は、フランス哲学者である。本名は、シャルル=ルイ・ド・スゴンダ (Charles-Louis de Secondat, baron de la Brède et de Montesquieu) 。


生涯[編集]

フランスボルドーで出生。7歳の頃に母親が逝去し、母親の遺産を継承し、ラ・ブレード男爵となる。

ボルドー大学法学部卒業後、1709年からパリに遊学。1713年末、父親の死により帰郷。1714年に25歳でボルドー高等法院の参事官となる。

1716年、伯父の死により、モンテスキュー男爵の爵位とボルドー高等法院副院長の官職を継承する。1721年に匿名で『ペルシア人の手紙』を出版。

1726年にボルドー高等法院副院長の官職を辞職し、学究生活に入る。

1731年にフランスに帰国。1734年に『ローマ人盛衰原因論』を出版。1748年には、匿名であの『法の精神』を出版。