サン・ラ

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

サン・ラSun Ra、出生名: Herman Poole Blount 改名後の登録名: Le Sony'r Ra、1914年5月22日 - 1993年5月30日)は、土星生まれの思想家、詩人、ピアノ奏者、シンセサイザー奏者、バンドリーダー、コンポーザー、演劇パフォーマー……簡単に言えば、20世紀に活躍したジャズ・ミュージシャンであり、ファンですら把握困難なほど膨大な作品数と、自由奔放な音楽性や奇抜な生き様を通して現在でも伝説となっている人物。

概要[編集]

彼の音楽はニューオリンズジャズ、ビッグバンドジャズ、ビバップ、ドゥーワップ、フリージャズ、スピリチュアルジャズ、フュージョンなどのジャンルにまたがる。電子キーボードとシンセサイザーを世界で最も早くから音楽に導入した人物の一人でもあり、メインストリームでの成功は収めずとも、ジャズに限らずロックや電子音楽などあらゆるジャンルの数えきれないほどのミュージシャンにリスペクトされ、現在も影響を与え続けている。

土星ではなく全米でも最も黒人差別の苛烈なアラバマ州バーミンガムに生まれたせいか、黒人は宇宙に脱出すべしであるという独特のアフロ・フューチャリズムを唱え、1950年代から宇宙服とエジプトの神々を足して二で割ったような奇抜なコスチュームを着せたバンド「アーケストラ」を率いた。アーケストラ(Arkestra)とは、箱舟(Ark)とオーケストラ(Orchestra)を組み合わせた造語である。この辺りにも彼のメシア的な思想が現れている。

アーケストラは頻繁に名義を変え[1]、数百名の参加者を数えながら2025年現在も活動中であり、長年サイドマンを務め、現在はリーダーであるサックス奏者マーシャル・アレンはなんと100歳。 [2]特に著名な参加者としてはトランペット奏者ドン・チェリーやサックス奏者ファラオ・サンダースなどがいる。ファラオ・サンダースに「ファラオ」というエジプト由来の名を与えたのもサンラである。

彼は白人中心主義に組み立てられ、奴隷制を正当化するために使われ続けていた聖書の教えに疑問を抱いており、数秘術、チャネリング、ブラック・ナショナリズム、フリーメイソン、古代エジプト神秘主義など、あらゆる古今東西の思想から影響を受けていた。またアナグラムや言葉遊び、単語のスペリングなどをあえて変化させることで、言葉の背後に隠された共通項や意味について再考させることも常に意識していた。

サンラはその生涯で1000曲を超える曲をレコーディングしており、20世紀の世界でも最も多作な音楽家のひとりである。その中には「Strange Strings」のような「骨董屋で買ってきた名も知らぬ民族楽器を困惑するメンバーたちにいきなり演奏させた作品」という極めて前衛的なものも含まれている。彼の作品は世界でも最初期の自主レーベルである「エル・サターン・レコーズ」から発表されており、その試みも先進的と言える。

プレイヤーとしては終生ピアニスト、キーボーディストであり続けたが、世界で最も早くシンセサイザーを本格的に音楽へ導入した人物の一人でもある。Crumar Synthesizerを使用したアグレッシブでイカれた奏法の数々は映像にも残されており、最近ではInstagramのリール動画にも度々登場する。セロニアス・モンクを思わせるパーカッシブな不協和音などが頻繁に使用されるそのスタイルは、世間一般のキーボーディストのイメージからは大きく逸脱した独特なものだ。

また、彼はSF映画「Space Is The Place」(1974)を製作、発表したことでも知られている。自身が主演を務めるこの映画は難解なストーリーのカルトムービーだが、現在は配信もされており、Amazon Primeなどで視聴可能。彼の世界観に触れるならこの映画から入門することもおすすめだ。

来歴[編集]

彼はバーミンガムを離れたのち、シカゴ、ニューヨーク、フィラデルフィアなどの都市に拠点を移して活動した。初期のシカゴ時代ではデューク・エリントンのようなスィングのスタイルのビッグバンドジャズに彼の思想を加えた「コズミック・ジャズ」をプレイし、ニューヨークに拠点を移してからはよりフリーで実験的な傾向を強めた。作曲と即興の境目は曖昧となり、あらゆる民族楽器がレコーディングやライブに導入された。 最後はフィラデルフィアを拠点とし、伝統的なビッグバンド・ジャズの様式に近いコンサートを行うようになったが、依然としてアルバムには即興の要素が強い演奏が収められていた。

彼の音楽がメインストリームで大きな商業的ヒットをすることはついぞなかったが、カルトヒーローとしての名声は衰えることなく、2020年代の現在も彼のレコードには依然高値がつき、DJからも熱い視線を注がれ続けている。実際に、1990年代にヒットしたロックバンドのソニック・ユースが彼らをコンサートのオープニングアクトとして起用することもあった。 サンラは1993年にフィラデルフィアから宇宙へと再び旅立った。2025年現在、彼の再来は未だ確認されていない。

意外なところでは1970年代以降、ディズニー映画への傾倒を強めたサンラが、アーケストラとしてフロリダのウォルト・ディズニー・ランドで演奏することもあったという。

作品[編集]

詳細なディスコグラフィーは英語版Wikipediaに譲るとして、彼のディスコグラフィーは音楽史上最大規模のものとなっている。初期のエル・サターン・レコードから自主リリースされた作品は、アートワークをサンラ自身が手がけ、75枚限定でプレスされるなどハンドメイド色の強いものだった。初期のハンドメイドで製作されたオリジナル盤は現在コレクターズアイテムとして1000ドル以上の高値で取引されている。

彼の作品は構築性の高いビッグバンドジャズや、集団即興の初期の例となるもの、パーカッションとサックスのデュオ、ピアノトリオなどあまりに幅広く、捉えどころがない。 筆者の個人的な好みとしては1978年の「Lanquidity」を推したい。どこか調子っぱずれなユニゾンと、アフリカ由来のポリリズム、サンラ固有の繊細で瑞々しい感性が既存の音楽に収まることを拒否する。そんな彼の作品たちは、永遠のアウトサイダーであり続けるがゆえに古臭くなることはない。

リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 『宇宙こそ帰る場所──新訳サン・ラー伝』ジョン・F・スウェッド(著)鈴木孝弥(訳)

脚注[編集]

  1. Sun Ra and His Arkestra、Le Sun Ra and His Arkestra、Sun Ra and His Myth Science Arkestra、Sun Ra and His Solar Arkestra、Sun Ra and His Astro-Infinity Arkestra、Sun Ra and His Solar Myth Arkestra、Sun Ra and His Astro Intergalactic Infinity Arkestra、 Sun Ra and His Outer Space Arkestra、など、本気とも冗談ともつかない名義でリリースされた作品が無数に存在する。
  2. しかも彼は2025年に100歳にして初のリーダー作を発表するなど、メンバーたちも只者ではない。