ウィーン体制の崩壊
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ウィーン体制の崩壊とは、ナポレオン失脚後のウィーン会議にて採用された正統主義(フランス革命以前の秩序回復)を原則とするウィーン体制の崩壊を指す。
概要[編集]
ウィーン体制は、1815年に始まる。ヨーロッパの大国どうしが互いに勢力の均衡に努めることで、国際的な平和を維持・追求するものであった。しかし実態は、フランス革命以前の王政期(旧体制)への回帰願望が前面に押し出された反動体制であり、とにかく変化を嫌い、旧来の権威への同調し、伝統を重視するなど保守主義そのものであった。これは、1789年に始まったフランス革命や、その後のナポレオン戦争で広まったナショナリズムや自由主義で論じられた、国民の一体性や政治参加、自治独立、自由平等とは大きく異なる立場であり、ウィーン体制が確立して以降、ウィーン体制側と自由主義・ナショナリズム側は大きく対立することになる。
主なナショナリズム・自由主義の動き[編集]
- 1815年~19年 ブルシェンシャフト運動(ドイツ)- 自由と統一を目指したが鎮圧。
- 1820年~21年 カルボナリの立憲革命(ナポリ蜂起)(イタリア)- 政治的自由を求めたが、オーストリア軍により鎮圧。
- 1820年~23年 スペイン立憲革命 - 一時、自由主義政権が樹立されるも、フランス軍により鎮圧。
- 1821年~1829年 ギリシア独立戦争 - 1830年、ギリシャはオスマン帝国より独立した。
- 1825年 デガブリストの乱(ロシア)- 憲法制定・農奴の解放を求めたが、弾圧された。
- 1830年 七月革命(フランス)- ブルボン王朝に代わり七月王政が成立。
- 1830年 ベルギーの独立運動 - 独立達成。
- 1830年~31年 ポーランド11月蜂起 - ロシア軍により鎮圧。
- 1830年 ドイツ騒乱 - メッテルニヒにより弾圧。
- 1831年 青年イタリア結成(イタリア)
- 1832年 第一回選挙法改正(イギリス)
- 1838年~50年代 チャーティスト運動(イギリス)
- 1846年 ポーランドの独立運動
- 1848年 二月革命(フランス)- 第二共和政が成立。その後ナポレオン3世による帝政へ。
- 1848年 三月革命(オーストリア・プロイセン)
- 1848年 ボヘミア・ハンガリーの民族運動
- 1848年~49年 フランクフルト国民議会
- 1849年 ローマ共和国樹立(イタリア)- 失敗。
1846年~47年にかけての凶作や恐慌も相まって、1848年に始まった二月革命以降、それまで以上に自由主義やナショナリズムが高揚した。一連の動きは1848年革命(諸国民の春)とも呼ばれる。オーストリアの首都ウィーンで起きた三月革命では、ウィーン体制の主導者であったメッテルニヒが追放された。この年、一般的にはウィーン体制が崩壊したとされている。