よみもの:過剰化が進む日本のテレビ美術
「テレビ美術」とは,スタジオセット,衣装, タイトル,グラフィックス等を総称するもので, どのような番組の映像表現においても重要か つ不可欠な役割・機能を果たしている。 現代日本におけるテレビ美術は民放を中心に過剰化が進んでおり、ユニバーサルデザインを無視したようなアイキャッチが目立つ。私はこの行きすぎたデザインには問題視してきた。 現代の高度化が進んだテレビ美術において、公共性が隣り合わせのスタジオ空間にてデザイナーはどう向き合うべきか、真剣に向き合う必要性がいずれは来ると思われる。
2021年度の民放の朝情報番組「ZIP」のネット上での議論[編集]
- 21年度にZIPのスタジオセットがリニューアルされたが、ネットを中心に「デザインが過剰過ぎる」といった声が複数寄せられ、議論にまで発展した。
2.ワイドナショーのテレビ美術[編集]
- 2つ目はこれは私個人が視覚的に感じためまいの経験から。ワイドナショーのテレビ美術はスタジオのあちこちに装飾がこれでもかと付けており、悪い意味ではけばけばしい、画面上がうるさく番組に集中出来なかった経験がある。
何故、テレビ美術は過剰になるのか論争[編集]
民放は視聴率が売上につながる。そのため、テレビ美術はデザインの面からして、悪い意味でスタジオ空間が商業化してきており、公共性の低下でが指摘されている。 視聴率が悪いとよりデザイナーは視聴率を稼ぐために、派手なデザインを求める傾向にある。しかしながらそれは高度化が進む現代においては切り離せない問題でもある。
テレビ美術における正しいデザインとは何か[編集]
これはユニバーサルデザインを取り入れたものが正しいデザインとも言えるだろう。
私から見たテレビ美術[編集]
私としては、NHK・及び民放にて良くは出来ているとは思うが、バーチャルCGやデザインの観点からは課題が多い。デザインは基本的に目立ってはいけない、ブランドは理解されてはいけない、そこまでデザインは進化しなければならない。特にバーチャルCGと背景の組み合わせは、背景がごちゃごちゃしているとバーチャルCGが何処にあるのかが分からなくなってしまい、画面上で曖昧になる。そのため、シンプルさを追求する事が求められる。
障害者視聴者に配慮したユニバーサルデザインのテレビ美術の導入[編集]
ここ近年で、障害者視聴者も増えているという。その中で特にASDの視覚優位に配慮したデザインも必要となる。例えば、彩度の低い色合いにする事やモニターを導入して視覚的に分かりやすくニュースを伝える事など。それらはNHKが先行して導入が進んでいるが、実績に関してはまだ未知数な部分でもある。また、ASDでは同じデザインが安心感を与えると研究でも結果として出ており、トータルデザインにする事も一つの手段でもある。
総括[編集]
過剰化が進むテレビ美術において今後に期待されるのは、
- 1.ユニバーサルデザインのテレビ美術
- 2.バーチャルCGと背景の簡素化・シンプル化
- 3.チャンネルアイデンティティーを意識したトータルデザイン
の3つである。私一個人として、どこまで今後のテレビ美術の過剰化が進むのかは未知数でもあるが、3つの改善案として書いた。現代の報道番組のテレビ美術は民放を中心に視聴率競争と他メディアとの生存競争を背景に、過剰な商業主義化が進み、デザインが自己主張や自己保存の道具として利用される側面がある。これは、番組のソフト化やタブロイド化への対応であり、スタジオ空間は公共の広場ではなく商業的・広告的な空間としての性格を強めている。この変化は、ニュース番組にマーケティングやブランディング手法が適用される「公共性」の低下を示唆しており、デザインの高度化だけでなく経済・社会・文化の力がせめぎ合う動態的な空間として捉えるべきだ。スタジオ空間は多様な価値観を伝える「公共の広場」としての役割よりも、商業的・広告的な空間としての性格が強まっている。この観点から代表的なスタジオ空間を分析することでニュース研究やジャーナリズム研究に新たな視点を提供する可能性がある。現代におけるテレビ美術は公共性をしっかりと保ちながら、NHK・民放共に正しいユニバーサルデザインへの切り替えが期待される。その中でどこまでその意味が浸透するかは分からないが、高度化した現代の画面上では様々な試行錯誤が模索される。そのため、テレビ美術のデザイナーはそれらの問題に真摯に向き合い、改善を図っていく事がデザイナーの目指すべき姿であろう。