よみもの:オーバードーズの抑止広告に物申す
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最近、オーバードーズ(薬の過剰摂取)の抑止ポスターやポップアップ広告など、抑止広告が広まっています。
それは、良いことだと思うのですが、その内容に「あれ?」と思うところがあったので物申したいと思います。
※なお、このよみものはオーバードーズの広告を否定するものではありません。
どこが「あれ?」と思ったのか[編集]
普通に流し読みするだけならば「うんうん、ODはよくないよね」と思うような広告でした。その広告(というかポスター)を見た当時は「へぇ、ええやん」と思っていました。でも、色々あって病んだ時今一度そのポスターを読むと、得も言えぬ怒りが私の腹の底で煮えくり返りました。
その部分は、オーバードーズは薬物乱用です!あなたが死ぬことで悲しむ人がいますというものでした。普通にみれば普通の広告なんですが、病んだ状態の私が見たら「え?」と声が出そうでした。
なんで「あれ?」と思ったのか[編集]
この節では「あれ?」と思った理由を説明していきます。
なお、もう一度言いますが、このよみものはオーバードーズ及びオーバードーズの広告を否定するものではありません。
「オーバードーズは薬物乱用」[編集]
これが一番不思議でした。まるでODする人を法律を振りかざして責めているようじゃないですか。遊び半分でやっている命知らずの承認欲求まみれのミーハーさんにはその言葉でいいと思うのですが、本当に全てがどうでもよくなって「死にたいな」と思っていてしている方だっています。嘆かわしいことですが...。なのに、どうして責めるようなことを言うのでしょうか。私には理解ができませんでした。心が弱っているときは自分の頑張り・努力・気持ちを認めて寄り添ってほしいはずです。しかし、この言葉はその対極にあるといっても過言ではありません。だって、ODする人に寄り添おうという心意気が全く見えないのですから。薬物乱用という正論だけを振りかざして果たしてODしている人は救われるでしょうか?ODをやめるでしょうか?
私が思うにその答えは否です。というか、私が当事者なら更に薬の量を増やしてしまいます。だって、誰にも理解してくれないと理解してしまうのですから。
もし私なら「オーバードーズは命を落としてしまいかねない行為です。無理せず少しずつ減らしていきましょう」と書くと思います。なげぇ
「貴方が死ぬことで悲しむ人がいます」[編集]
一見正論です。いえ、正論ですが。でも病んでいる私には「ODしてるヒトよりODしてる人の配偶者」を基点に考えているようにしか見えませんでした。
口悪く訳すと「アンタが死ぬとアンタの配偶者悲しむからODすんな」ってことですからね、理由が「ODしている人の配偶者」にあるんです。「ODしてる人」ではなく「その配偶者」のためにODをやめろと言っているのと同じです。その環境を作ってしまったのは他でもない「配偶者」のはずなのですが、どうして気にかけないといけないんでしょう?
もしかしたら、配偶者はODの環境を作ってはいないのかもしれません。しかし、ODに気づき、それを止めさせる&心のケアだってできたはずです。今までODを続けたのは配偶者の観察不足、もしくは(ODの環境が配偶者によるものなのであれば)配偶者の環境整備不足、管理不足が原因のはずです。つまり、ODの原因には配偶者も含まれるはずなのですが、なぜその「配偶者」を気に掛けるような、守るような言葉をのせるのでしょうか。私がもしODをしていたら、その場で切れ散らかしていることだと思います。
そして、私なら「また感じたい素晴らしい体験はありませんか?食べたかったものやしたかったことはありませんか?もう少し、探求し続けてみましょう!」と書くでしょう。私なら。
結論[編集]
もしも周りにODしている人がいるならば、「ODとかやめろ」という否定をするのではなく、その人に寄り添っていくことが大切だと思います。(文字が足りない)