よみもの:オーバードーズの抑止広告に物申す

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
エンペたん看板 Welcome.png よみものページ
この「よみもの」は、アンデスキャンサーが作成したものです。
他ユーザーの編集も歓迎いたします。

最近、オーバードーズ(薬の過剰摂取)の抑止ポスターやポップアップ広告など、抑止広告が広まっています。

それは、良いことだと思うのですが、その内容に「あれ?」と思うところがあったので物申したいと思います。

※なお、このよみものはオーバードーズの広告を否定するものではありません。

どこが「あれ?」と思ったのか[編集]

普通に流し読みするだけならば「うんうん、ODはよくないよね」と思うような広告でした。その広告(というかポスター)を見た当時は「へぇ、ええやん」と思っていました。でも、色々あって病んだ時今一度そのポスターを読むと、得も言えぬ怒りが私の腹の底で煮えくり返りました。

その部分は、オーバードーズは薬物乱用です!あなたが死ぬことで悲しむ人がいますというものでした。普通にみれば普通の広告なんですが、病んだ状態の私が見たら「え?」と声が出そうでした。

なんで「あれ?」と思ったのか[編集]

この節では「あれ?」と思った理由を説明していきます。

なお、もう一度言いますが、このよみものはオーバードーズ及びオーバードーズの広告を否定するものではありません。

「オーバードーズは薬物乱用」[編集]

これが一番不思議でした。まるでODする人を法律を振りかざして責めているようじゃないですか。遊び半分でやっている命知らずの承認欲求まみれのミーハーさんにはその言葉でいいと思うのですが、本当に全てがどうでもよくなって「死にたいな」と思っていてしている方だっています。嘆かわしいことですが...。なのに、どうして責めるようなことを言うのでしょうか。私には理解ができませんでした。心が弱っているときは自分の頑張り・努力・気持ちを認めて寄り添ってほしいはずです。しかし、この言葉はその対極にあるといっても過言ではありません。だって、ODする人に寄り添おうという心意気が全く見えないのですから。薬物乱用という正論だけを振りかざして果たしてODしている人は救われるでしょうか?ODをやめるでしょうか?

私が思うにその答えはです。というか、私が当事者なら更に薬の量を増やしてしまいます。だって、誰にも理解してくれないと理解してしまうのですから。

もし私なら「オーバードーズは命を落としてしまいかねない行為です。無理せず少しずつ減らしていきましょう」と書くと思います。なげぇ

「貴方が死ぬことで悲しむ人がいます」[編集]

一見正論です。いえ、正論ですが。でも病んでいる私には「ODしてるヒトよりODしてる人の配偶者」を基点に考えているようにしか見えませんでした。

口悪く訳すと「アンタが死ぬとアンタの配偶者悲しむからODすんな」ってことですからね、理由が「ODしている人の配偶者」にあるんです。「ODしてる人」ではなく「その配偶者」のためにODをやめろと言っているのと同じです。その環境を作ってしまったのは他でもない「配偶者」のはずなのですが、どうして気にかけないといけないんでしょう?

もしかしたら、配偶者はODの環境を作ってはいないのかもしれません。しかし、ODに気づき、それを止めさせる&心のケアだってできたはずです。今までODを続けたのは配偶者の観察不足、もしくは(ODの環境が配偶者によるものなのであれば)配偶者の環境整備不足、管理不足が原因のはずです。つまり、ODの原因には配偶者も含まれるはずなのですが、なぜその「配偶者」を気に掛けるような、守るような言葉をのせるのでしょうか。私がもしODをしていたら、その場で切れ散らかしていることだと思います。

そして、私なら「また感じたい素晴らしい体験はありませんか?食べたかったものやしたかったことはありませんか?もう少し、探求し続けてみましょう!」と書くでしょう。私なら

結論[編集]

もしも周りにODしている人がいるならば、「ODとかやめろ」という否定をするのではなく、その人に寄り添っていくことが大切だと思います。(文字が足りない)

関連項目[編集]