歴史は体制側の人間の視点から書かれる

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歴史が「体制側=勝者」の視点から書かれることは、事実の記録や評価に大きな偏見を生みやすい。そしてその偏見が、しばしば「反体制の人々」や「民衆の抵抗者」を不当に“悪者”として描く構図につながる。

なぜ歴史は体制側の視点から書かれがちなのか[編集]

記録を残せるのは権力者[編集]

文書・記録・法令・日記などは、読み書きできる立場=武士・公家・僧侶・官僚によって作成された。民衆や反乱者の声は、基本的に「書き残されない」か、「取り締まり記録の中に悪く書かれる」。

敗者は語れない/語る余地がない[編集]

負けた側は殺されたり、口封じされたりする。生き延びたとしても、語る場・聞く人・書く自由がない。

権力正当化のための歴史編纂[編集]

新たな体制は、前の政権や敵対者を“悪”として描くことで、自らの正当性を補強する。

  • 例:織田信長に討たれた比叡山→「腐敗した宗教勢力」と描写
  • 明治政府に従わなかった旧幕臣→「賊軍」「反逆者」として扱われた

体制史 vs 民衆史=[編集]

視点 特徴 問題点
体制史(上からの歴史) 天皇・将軍・政治家・官僚の行動を中心に記述 社会の大多数を占める民衆の視点が抜けがち
民衆史(下からの歴史) 百姓、町人、被差別民、女性、少数派などに注目 資料が少なく、復元が困難な場合も

体制に「悪者」とされたが、再評価された人物

人物 体制側のレッテル 現代の再評価
楠木正成 朝敵(幕府から) 後に忠臣として神格化
白河夜船の盗賊団 山賊・悪党 地域の年貢圧政への抵抗運動とも解釈される
大塩平八郎 放火犯・反乱者 幕政批判の知識人として再評価
会津藩(戊辰戦争) 賊軍 戦争責任を一方的に負わされた地方藩

現代歴史学の傾向[編集]

近年の歴史学では、以下のような方向が強まっている。

  • 民衆史・ジェンダー史・植民地史・周縁史の重視
  • 「語られなかった声」に注目する
  • 資料の読み方を「誰が・何のために・どの視点から」書いたかで慎重に読む
  • 勝者だけでなく「沈黙した者」「敗者の記憶」にも歴史性を見出す

最後に 「歴史は勝者が作る」という言葉は、記録が“真実”であっても、“公正”とは限らないことを教えてくれる。

あなたが触れている「歴史の偏見と悪者化」は、まさに歴史学の最前線で問題にされている重要なテーマ。 そして、それを問い直すことこそが、未来に向けた歴史教育や社会の成熟につながる。