ウラジーミル・レーニン
ウラジーミル・イリイチ・レーニン (ロシア語:Владимир Ильич Ленин)とは、ロシアの社会主義革命家。10月革命を指導してロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を樹立し、人民委員会議議長に就任した。レーニンというのは本人が1900年ごろから使い始めた本名を隠すためのあだ名で、本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(ロシア語:Владимир Ильич Ульянов)である。
概要[編集]
20世紀の歴史上の重要人物で社会主義者の間では共産主義の英雄とされる。
ロシア帝国の下級貴族出身で裕福であったが家族の不幸が相次ぎ、その原因の貴族中心の社会に不満を持ちカール・マルクスの共産党宣言に影響される。当時のロシアはロマノフ家と呼ばれる貴族が労働者と農民を苦しめており餓死者が続出。その状況から政治家を志し「ボリシェヴィキ(多数派)」を旗揚げ。レーニンたちは強盗の才能のあるスターリンを指揮官に金持ちや銀行から強盗で活動資金を集める。
レーニンは公安により追われ国外に亡命していたが、ロシアでは労働者と農民による革命の機運が高まっており帝政が崩壊しロシア臨時政府が樹立。レーニンは革命のチャンスととらえドイツが手配した臨時列車でロシアに帰国し10月革命を起こし、ロシア帝国を支配していたロマノフ家(ニコライ2世とその家族)はボリシェヴィキによって処刑され、ロシア帝国は崩壊した。帝政の崩壊によりロシア内で各勢力が台頭してくるようになり独立やロシアの統治を目指してロシア内戦が勃発。レーニンは赤軍を指導しロシア内戦を勝利へと導き、その後1922年に世界初の社会主義国家ソビエト社会主義共和国連邦を建国した。
しかし1918年の暗殺未遂の傷などが原因でソ連建国の2年後の1924年して死亡。現在レーニンの死体は荼毘に付されレーニン廟に保存されている。
現在、世界的な格差社会となっておりレーニンが再評価されているという。